手が届くはず、それなのに届かないのは辞めてしまったからでしょ。
スポンサーリンク

人は、届かないことを言い訳にして辞めてしまう。

私達は何かを辞める時に言い訳と理由を付ける。

その意味は、理由を付ければ何となく今までの自分が救われるような気がするから。

手が届く距離だった。でも、届かなかった。

それって、あと一歩でなの?それとも、何となく届きそうな気がしていただけなの?

辞めてしまうということは、その先は奈落の底で、道がないということだ。

スポンサーリンク

言い訳をしたからって叶う訳じゃない。

辞めることに言い訳をしても、自分を許せる訳じゃない。

私達は何かを初める時、好きだから、憧れるからという理由で初める。

じゃあ、辞める時も、好きじゃなくなったから、憧れを抱かなくなったから、

で、辞めても良いはずだ。

  • それが出来ないのは、必死に努力して、愛着が湧いたんじゃないのかな。
  • ここで諦めなければ、もっと良い景色が見えるんじゃないか。と後悔が残っているんじゃないのかな。

 

人間は、何かに時間を掛ければ掛けるほど、諦めたくないと思ってしまう

それって、叶う叶わないより、現状維持に走っているだけだ。

全てを投げ捨ててさえも、諦めがつかないのなら続けたら良い。

でも、叶っていないという事実を変えるには、今を全て変えるしか方法はない。

何かを貫くということは、歴とした才能なのだから。

(人間は自分の利益しか見ていないし、はぐらかす生き物だ)

だから、貫くことは、才能だと私は思う。

 

言い訳と理由はいつだって、セットで離れられない存在。

何かと一瞬の嘘は、一生の嘘になりかねないし

誰かが適当に言った言葉を今でも覚えているし

何となくが、自分を滅ぼす時も救う時もある。

様々な事を考えながら、今もこの瞬間も大事にできたら良いね!

スポンサーリンク

距離を測ることも大事だ。

もしも手が届く範囲に好きな人が居たとしよう。

でも、距離感が分からなければ触れることも、触ることだって出来ない。

それが、願い事ならどうだろう?

見えない物を追いかけていざとなったら、見えない物に手を伸ばす。

でも、見えない物は見えないから、少しずつでも見えるように頑張るしか無いね。

 

人との距離も、夢との距離もある程度で良い。

必死に努力するのは、きっと当たり前だけど、必死過ぎると生命は尽きてしまう

だから、決まった時間の中で必死に集中すればいい。

何かを削れば削る程、何かは壊れて、失われて、犠牲になる

それが、自然の摂理というものだ。

何かを極めれば極めるほど、自分の幸せは削られている事もあるかもしれない。

だから、休む時は休んで。

 

誰かとの距離は1歩?それとも100歩?

願いが叶うのは、1歩先?それとも10歩先?

自分が1歩だと思っていても、その1歩はとてつもなく遠くて辛いかも知れない

何となく、叶いそうだとか、届きそうだとかは言っていられない。

地に足付けて、今を生きよう。

スポンサーリンク

辞めることは先がないということだ。

人々は辞める。何かを辞める。会社を辞める。

良い辞めるもあれば、悪い辞めるもある。

何処と無く、辞めることに私は恐怖がある。

それは、未来が消えるのを一瞬で察してしまうから

言葉に出したら終わってしまう脆い物もあるから

辞めるのは簡単でも、辞めるまでが大変なんだ。

色々な格闘をして、覚悟をして、そして辞めたことすらも後悔をしてしまう

でも、それって格闘をしたから得られる感情だと思っている。

しなければ良かった。より前向きな感情。

 

何かを諦めてしまっても、この先はしっかりあるし

この先のために何かを諦めたなら、また1から何かをすればいいよ

そうしたら良い!

そうしよう!

前向きに前向きになろう。

 

1つ諦めた所で、違う物にシフトすればいい。

コロコロ変えたって誰も怒らないよ。

次の目標をまた決めようよ。

叶わないなら叶える手を尽くす限りだ。

また初めたって遅くないからさ。

スポンサーリンク

Twitterフォローお願いします!

おすすめの記事