自分の扱い方は分かっても、他人の扱い方は知らない。
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目次

他人の説明書があれば、上手に扱えるのかな?

自分の説明は自分が上手に出来る。それは当たり前なのかな。

他人の説明書が存在していても、それは過去の説明書でしかない。

誰かを扱うこと、それは、手玉の取ること。

それを考えている時点で、相手を下にしか見ていない。

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自分の事は自分が良くわかっている?

誰かは自分の事は、自分が全てを分かっていると言う。

でも、自分で見えない部分ってきっとあるし、他人しか分からないこともある。

自分ばかりを見る人。

他人ばかりを見る人。

それぞれ、自分を持っていて、固定概念を持っている。

 

他人の声が嫌でも、全てシャットダウンすべきではない事は重々承知で、

だから、聞き分けをする。それが自分にも、相手にも何か繋がる物がきっとあるから。

 

自分が常に正しいと思い込む人は自己中だろうか?

自分だけを見ている人なのだろうか?

本当に他人を考えずに居るのだろうか?

私は分からない。言えないんだ。言ったら見えない誰かを傷つけてしまうでしょ。

ただね、時には強くて、時にはすっごく弱いんだよ。

 

自分の説明って、難しいよね。

でも、難しくていいんだよ。

心は誰にも見えないでしょ?

自分でも自分が分からない時、あるでしょ?

自分が分からない人は、誰も分からないって人は言うけど、

自分自身を鏡以外で見たことあるの?

結局さ、相手は自分が正しいと思い込んでいるだけなんだよ。

正しさなんて、分からない。じゃん。

所詮、相手も誰かの言葉を借りているだけだし、

自ら生み出して1から納得できる言葉ぐらい出してみろって言うんだ。って思う。

 

自分で、分かること、分からないことがあると思う、分からないなら他人に聞いてみよ。

分からないことを分からないままにするよりか、分かっていた方がいいからさ。

弱点をそのままにしていたら、突かれて終わってしまうと思う人だから。

弱さは時に、強さを生み出してくれる。

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説明書は過去の産物。

モノでも、人でも、過去に起きた事だから、説明できる。

西野カナさんの「トリセツ」という曲はそういう全てが入っている気がします。

起きていなければ、説明できないという事でもあるけど。。

ただ、説明が出来なくても、今繋がれている。

その感覚が一番大事だと思います!

 

例え、誰かの説明書が落ちていたとしよう。

それは、恋人だとしよう。

その説明書って要らなくない?

だって、説明なんて要らないじゃん。って思います。

もう知っている。って思います。

見たら見たらで、面白くないけど、参考にはする笑

ロマンチックなシチュエーションだけは知りたい

ドキドキさせたいから笑

 

誰かの説明書があっても、過去は過去。

説明書は相手の近くに居て、自分で書くこと。

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誰かを扱いたい。それは、。

他人を自分のいのままに動かそうとする人が居る。

それは、誰かを手玉に取ること。

それって、悲しいよね。

 

扱うより、その人を尊重して、気にかける。

人を思うがままに動かしたい。そんな事を考えて生きているのはめんどくさい。

 

私が思うことを言う。

人は自分が好きだ、いや、他人が自分の為に動いていることが好きだ

だって、優越感に浸れるから。

そうゆう人には鐵槌を、理不尽な人の声は聞かないフリ。

面白い。それが生きる糧だ。

扱い方より、自分を持て。

他人を扱って楽したい。それより自分を見て、持て。

他人の扱い方なんて知らなくていい。

自分は自分だと自我を持て。

 

自分の説明が上手でも、下手でも、分かってくれる人と一緒に入れば良いじゃないか

当たり前と思うことすら、当たり前じゃない。

貴方は、誰かを扱いやすい。と思って、何かを押し付けていませんか?

きっと、その押し付けが溜まって大きくなった時に逆襲に合いますよ。

嫌なら、今からでも優しくしてあげてください。

 

たった一人しか自分は居ないのだから、

大切にしてあげてください。

他人より自分を大切に。

 

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