作り物で動く、世の中に希望は存在するのか?それすらも作ればいい。
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作り物、概念、定義で人間は動く。正しさを教え込まれ、作られた世の中だから。

この世の中は、希望も残酷も人間も作り物。

人間という生きた生き物にそんな物作れるはずがない。皆そう思うだろう。

ではなぜ、人間は希望を抱くの?なぜ、出来ないという残酷を見せてくるの?

私達も作られた。言葉もお金も全部作られた。じゃあ何で、感情は自我を持つの?

作られたなら全部作ってしまえ。

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世の中は作られた。

世の中は作られ、大地は削られ、街が出来上がった。

偏見も希望も残酷も全て作り物だった事に皆なぜ気づかない?

正しさを求める事で人に合わせ、間違えを間違えだと認識しない。

もしも人と正解にズレが生じていても、答えを出せただけ良いと思えばいい。

 

違うこと、その物に意味がない。と皆が口を合わせて言うなら。私は違うことに意味があると言ってあげる。

だって考えてみてよ。全員の答えが一致していたら偏見も傷を付け合う事もないでしょ。

貴方は、ただの息をしている操られた人じゃないでしょ?

ちゃんと言いたいこと、やりたいことを自ら意思表示しているでしょ?

苦しいなら逃げればいい。こんな世の中腐っている。そう思うなら自らの目で確かめなよ。

他が腐っていてもその中に一輪の花が咲いているかも知れないでしょ?

 

探すことに意味があって、今、自分の為に何が出来るの?と考えることに意味がある。

そして、探し出せたら、何か希望が見えたら相手に伝えてみてよ。

世の中が全否定してきても、希望が何か見せてくれるかも知れないよ。

その希望が道を踏み外してしまったら助けてあげなよ。自分が踏み外してしまった時に助けてくれるかも知れないよ。

きっと貴方がそれほど希望にしているなら相手も希望にしているから。

分かり合うことが何よりも大切なんだ。

口で言い合えないならLINEだって何だっていい。手段を問いている間に相手が居なくなちゃうから早めに本心を伝えて。

 

私は一度失敗してしまったけど、その希望に今も縋っているからさ。。

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人間は喜怒哀楽で作られる。

感情を作る。

感情は世の中のように見ることで教えられたか?いや誰も教えてくれない。

それが人間。元から独自になぜか学習している。

生まれた時はきっと平均を保ち、そこから見ることで、バランスが変化する。

良い。悪いはともかく一部何処かが振り切るほどの変化が起きてしまうと人に影響を及ぼす。

 

人間に感情があるかも分からない。その根拠はないのに概念がある。

この世は難しい事ばかりだ。

感情に自我が生まれた時に、人とは何かが可笑しいと感じ取る。

でも、不特定な感情に擦り切れてしまう人ほど悲しそうに見えない。

隠し方が上手いのか、それとも繊細すぎる故に人を見すぎてしまって察し能力が向上したのか。

その裏には、我慢があるのか?ストレスを抱え込み破滅しているのか?

それはきっと自分でしか判断はできない。

 

ただ、言えることは闇を抱え込み過ぎている事だろう。

例え、全てを吐き出すことが出来ても消えるは一生無い。

夢に出てきても、ふと脳裏をよぎるって汗を掻いたって忘れることは出来ない。

何十回、何百回も夢に出てきた所で、その記憶に悩まされ不安が不安を呼ぶ。

新しい記憶に辛い過去を刻まないように、努力をしているのに新しいことが消え。

また、過去が脳裏を嫌なほど駆け回る。それでも、死ぬ勇気はない。

 

だから、今という瞬間を忘れるために脳を停止させる。

それが正しいかなんて分からない。近くに癒やしが居ればそれすらも幸せに変えてくれるのかも

分からないまま今を、現実を生きている。

縋ることで、癒やしを求めることで何かが変わるとも思っていない。

それは癒やし、幸せに背を向けて気づかないフリをして距離を空けていたから。

 

過去は恐ろしいけど、未来はちょっぴり不安だけど、今をちゃんと見ている。

もう幸せに癒やしに背を向けていない。だから、欲しい。

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希望ぐらい作ったら良い。

この世が作り物なら希望すら簡単に作れる。

無いなら全部作り変えちゃえばいい。既製品になんて囚われていないで

手を動かして下手くそでも作ったらいい。それが成長するという意味だから。

何度も挑戦していたら上手くなるから。

 

今、あるものが全てではない。

他の人が、得意な人が生み出すことで、既製品になるのか。それは違う。

自分が良いと思っても、他人が良いと思わなければ既製品にはならないし、ヒットすらしない。

自分=他人ではない。なら、色々な人に使って貰い、意見を聞けばいいし。新しいアイデアもアレンジも出てくると思う。

だから、試作品という工程があって完成品になる。人間もそれに近い工程を挟んでいる。

 

私にもその希望はある。

それは作ったという訳では無くて、苦しい時に寄り添ってくれた。だから希望の人になった。

もしもタイミングがズレていたら希望ではなかったかも知れない。

でも、なぜか出会ってしまった。それは何処か片隅に希望が欲しい。と願っていたから。

人間にとって希望とは一体何なんだろう?と思ってもピンとくる答えは見つからなかった。

生きる=希望じゃない。生きる事は絶望でしか無かった。

でも、今は違う。今は全然違う。希望が、光がいる。

嬉しいとか悲しいとかそういうレベルじゃなくて、この希望を一生見ていたい。

そのレベルだから、私は希望と言えるんだと思う。

 

私はこれ以上でも、これ以下でもない。私の価値観の違いでしかないから

自分とちょっと違うから。ショボいからとかどうでも良くて、違うことが当たり前ですし。

何だって良くて、希望があるから生きるのが楽しい!

そう思えれば希望のレベルとかどうでも良いんです、個人の見解でしかないので。

 

  • 趣味が希望でも。
  • 恋人が希望でも。
  • アーティストが希望でも。
  • 憧れる人が希望でも。

どれでも良いんだよ。どれを選んだって希望その物だから。

希望ぐらい作っちゃえよ。明日叶う希望でも。一瞬で終わってしまう希望でも。

希望その物に浸れる事に変わらないから。

全部作ってしまえ。。。そして希望に浸ってしまえ。

まとめ

今回は作られた世の中について書いてみました。

あまり感じたことのない感覚に書いている時に陥りました。

久しぶりに毒をよく吐けた記事です。

作られたなら作ればいい。それは物でも、人でも同じなんです。(人は育成?)

希望の前に希望という存在が居たか、居なかったかと言われれば居ました。

でも、それすらも今の希望は光り輝いていて、その希望が気まぐれで近くに居ないかなって思うほどです。

新しいこの感覚、レベルに行った気がします。

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