目次
私達は特性も特技も個性も生き方も環境も全部違う。
誰かのストレス発散の相手をする為に居る訳じゃない。
考えても他人の気持ちが分からない。それは押し付けているだけだから。
人とは違う考え方は、思考の使い方は尊重する物だ。異物じゃない。個性だ。
人はみな、言えること、言えないことが存在する。それが当然と何故考えない?
私を知りたいなら聞けばいい。貴方が私と同類だと思って比べているから、分からないのに足りないって何なのだろうか。
分かって欲しい人には本音をさらけだしているよ。
考え方も貴方と私では全く違う。
この世の中が固定概念と自分という存在が正しいと認識している人が居る。
お前は間違っている。と言う貴方は間違っていないのか?
私は貴方の言いなりで生きている訳じゃない。直接言われる身にもなってくれ。
私が、努力を、全部をさらけだせば貴方は正解を教えてくれるのか?
結局自分でどうにかしろと言って突き放すなら、その助言はストレス発散の材料でしかない。
色々な人が存在する。ただ、イラついたからと我慢せずに誰かに当たるのは正しくない。
考え方は人それぞれだ。でも、私の考え方はこれだ。
上手く生きるコツがあるとするなら人を選ぶことだろう。環境を変えることだろう。
我慢をして辛くなるならそんな所捨ててしまえ。
気持ちを分からない人の近くに居ても辛くなってしまうだけじゃないか。
この人ちっぽけだな。とその人を上から見てしまえ。
この人はこういう人だから気にしない。と自分に植え付けてしまえ。
それぐらいしないと苦しくて死んでしまうよ。全部辞めて、そこから飛ぶ立ちたくなるよ。
大人だから我慢をして苦しんで、その後は何になるんだ?
私は大人だからと暗示を掛け我慢をしてきた。でも、何も変わらない。
なら、大人という特権を使えばいい。
大人なら環境も変えられる。生きる場所も変えられる。それなのに苦しんで、何にもならないよ。
誰かの意見に首を横に振らず、縦ばかりに振って、生きる屍になった。とでも思っているのか?
それこそ視野が狭いと言うべきだろう。
そうじゃないと生きれない。ならなぜ?準備をしてこなかった?努力を他に与えなかった?
出来ることを増やさなかったのは誰だ?貴方でしょ。
こうして意見も行動も全部自分に返ってくる。
だから、人をなるべく傷つけないように誰よりも配慮している。
やりたいことと、やらなければならない事を分けている。
どんな時も線引きは必要だと私は思う。
考えても分からないと言う貴方は私を見たか?
考え方が違うから分からないのも事実だ。
でも、根本的に貴方は私の何を知っているの?
知らないから分からない。そうだろう?
分からない癖に否定をするな。分からないからと自己完結するな。その気持ちを私に当てるな。
押し付けても何にもならない。押し付けられた方が嫌な気持ちになるだけだ。
いつも言った方は忘れて、言われた方が苦しんでいる。理不尽だ。
でも、私も大切な人にしてしまった。私も過ちを起こす。
一方的に怒ること、苦しむことはあっても、自分が他人にしているかも知れないと自覚をする機会なんだ。
それでも、していないことが沢山あるだろう。その時は見返すために行動をして何かをするか。
自分は自分だ。と自身をもって生きよう。
苦しいことが沢山あっても、そのうち誰かが一緒に背負ってくれる日が来るから。
その人を見つける旅に出ようね。
私達はわからないことを分からないまま有耶無耶にする。
そうしていくうちに誰の気持ちも分からなくなり、迷子になり苦しい思いを相手も自分もする。
分からないからと放置するのではなく、分からないから教えて、と言うべきろう。
受け入れ合うことだろう。
否定を否定で重ねることに意味はない。
押し付けるんじゃなくて、受け止める姿勢を見せてくれ。
人とは違う何かを異物にして楽しいか?
人とは違うからこそ、色々な世界を、景色を見せられるのに避けてどうなの?
何かを作ると、凄いと言うのに私達とは異なるのだ。と除外する。
所詮、外から見て、否定してるんだろ。
感動するけど、ああはなりたくない。と思ってるんだろ。
私とは違うからこそ、私と貴方は違うからこそ。新しい世界を見せてくれるとずっと信じていた。
それもいつの日か叶っていた!ありがとうと言いたくても、恥ずかしくて小っ恥ずかしくて直接は言えないけど、貴方にありがとう!
個性を潰しても個性は出てしまう物だから尊重してあげようよ。
個性=異物にしないでよ。
ちょっとどころじゃないかも知れないけど、個性だと認識してくれよ。
何かの反発で個性が爆発してしまったんだ。
誰のせいでもない。誰のせいでもないと自分に言い聞かせている時期も正直あった。
でも、このまま生きるなら分かってくれる人の側に居たいと思った。
苦しんでも、悲しんでも、辛くても、大切な人の隣に居座りたいと思った。
苦しくても、誰でもない。大切な人を見つけたら手放してはいけないよ。
一瞬の迷いで、背中を向けて何処かに行ってしまうかも知れないじゃないか。
何かに迷っても絶対に離さないという気持ちがあれば、居なくならないよ。
あの人とは、あの子とは違う考え方だからこそ、私は今書けている。
ただ、否定をされ、個性を隠した所で、本音を言っていないことは丸見えだった。
だから、見た目で否定をされても、私はこんな性格だからこの性格で生きさせて!と見せるべきだ。
この個性を上手く強みに替える。その為に何かをしなければいけない。
それは誰とも似つかない。事かもしれない。でも、勇気を出した貴方だからこそ出来ると信じて!
私が誰よりも信じるから!背中ならいくらでも押してあげる!
そして自分を信じて!
人には言えない想いが誰しにも存在する。
言いたいことを、言うことも。
言いたいことを、言わないことも。
どちらも正しくて、どちらも正しくない。
苦しくて、誰かに話を聞いて欲しい時があると思うんです。
それは言わなくて良いことなのかも知れない。
それでも、人は誰かに聞いて欲しいと思う。
でも、その逆も存在する。
誰にも聞かれたくない。言いたくないこと。
それは鍵を締めた記憶でも、苦しめられた記憶でも、色々な種類の記憶が存在する。
きっと、貴方にも私にも存在するのに無いから入る。
何故か、それはその人がその物事に興味がない。
それ以外に何者でもない。
それが人物だろうが、誰かの未来だろうが、興味がない物に時間を裂きたくないんだ。
ずっとやらなきゃ、やらなきゃと思っているより楽して生きようよ。
それは、努力をしないという訳ではなく、時間を決めてその中で最高を出す。
それを誰かと比べられれば楽して良いね。と言われるだろう。
でも、人間の集中力、その他諸々を考えれば短期的な努力でも行けるはずなんだ。
努力が全てではない。からこそ効率良く回して楽をする。
睡眠不足で良い仕事が出来るか。ストレスだらけで良い思考になれるか。
私はゆっくり物事を考えないと深く考えられないし、ましてや書くことすら出来なくなる。
それを何かが足りないと言われるのなら、これこそ方向性の違いだ。価値観の相違だ。
本心を、本音を言いたいとは、なり得ない存在だ。
私は必要だと、大切にしたい人だから本音を言う。
心を許せるからこそ本音を伝えたい。
それは安心感があると言うことでもある。
見せている部分と見せていない部分に違いが出るのは普通だろ。
私は普通だと思ってきたし見せることで優位に立つつもりもない。
表では、笑って。
裏では、泣いて。
を交互に繰り返していたら見せることに劣等感を感じるのは私だけか。
分かってくれて、受け止めてくれる器なら何でも言える。
でも、私には1人しか居ない。
だから、その人を離さないし離す気もない。
それぐらい深い関係になれたのはお互い分かり合えたからだろう。
たった1人だと思われるかも知れない。
でも、1人見つけられたのは奇跡だと思っている。
それ以上でも、それ以下でも無い。
私は私が信じる人を信じる。
まとめ
今回は考え方の有無について考えてみました。
何が良くて、何が悪いか、ではなく、まずは受け止めてくれる気持ちが必要だと私は思います。
色々な出来事がある日常に喜びも悲しみもあるのなら私は気持ちを打ち明けて楽をしたい。
必要だと言い合える人と私は居たい。
苦しみを分からない人にはなりたくない。
だからこそ、干渉し過ぎてしまうと違和感が発生する。
誰かであっても、大切な人であっても、ちゃんと見て、受け止める姿勢が必要なんだと思います。