
目次
無限に輝ける場所が欲しい。と私は願っている。
私は、私自身は、完成したら終わってしまうという恐怖がある。
だから、私はいつまでも、未完成な人間で有りたいと思っている。
何かが出来たら人は一喜一憂する。それが私は、あまり良く分からない。
未完成だからやりたいことを吸収できる。完成したらそれ以上吸収出来なくなってしまう。。
完成したら嬉しいという感情が出てくるが、それは一時だけじゃないか?
人間はいつも未完成だよ。
未完成と完成の違い。
未完成。完成。未が入っていないだけの少しの違い。
言葉では、未を消し去れば完成になる。
でも、現実では、未を消し去るという事は自分自身で完成しました。と断言する事になる。
それが良いか悪いかは価値観だ。
他人の未完成と完成の定義は正直分からない。
私が、これで完成した!と思っても他人は此処ちょっと修正してって言うし。
その違いに迷わされる事は普段でもある。それは良いことだと思う。
すり合わせることで、未完成と完成の線を跨ぐ事に意味はあるし。
何処からが未完成で、何処からが完成とかじゃないんだよ。
その人が此処が気に食わなければ未完成だし、全部納得できたら完成だし。
それは自分自身の記事でも同じだと思うんです。
1から全部作るというのは自分次第で全部変更可能ですし、作ったけどダメだと思えば
また1から作り直す。練り直す。その作業の中で培われる物は絶対に存在する。
私が作っている物は記事、文章、何ですけど、完成したから送り出すというか書きたいこと、言いたいことを書いているだけだから
未完成とか、完成とか、正直無くて、今日も波に飲まれてこい!!みたいな。
未完成は何か完成した物に対して、誰かが真似をするから
完成という言葉が出来上がったのかなって思うことが有って。
完成という意味は、仕上がった。形になったという意味だから、私がいつも思っている事より重いなって。
完成なのかなって、疑問に思っていたり。でも、形にはなっているし、
作ることに正解は無い。だから完成もない。これがしっくり来る。
私はいつまでも未完成で居たい。
私は上でも言っていると思うんですけど、未完成とか完成とかあんまり分からない。
それでも、完成したら何故か詰まらない人生になりそうだなって思っていて。
それはきっと今が、充実していてこれ以上を求めているからだと思っている。
一言で完成って言ってもそれは一部の完成だし。本当に完成の線って何処にあるんだろう。
一つ何かが出来たら完成?形になったら完成?分からない。
でも、私はそれが良いように働いているようで、何処までも突っ切れるんです。
未完成とか、完成とか、その概念自体が無くて、疲れたら書くのを辞めて、時間が来たら辞めるみたいな感じで。
でも、最終的にはまとめているし、(まとめられているかは分からないけど。)
一つの文章を広げることは容易にできても、一定で消えてしまう。
それは感情を乗せているからこれ以上はもう出ません。だから完成でお願いします。って
体が、脳が言っているのかも分からなくて、本当に未知何です。
ただ、完成に近づいても未完成で有りたいんです。
それは分からないからこそ、分からないなりに書けている文章だから。
それが完成という達成感を得てしまったら、例え一部でも得てしまったら
それ以降その記事の文章が出てこない気がしている。
普段から文章の追加をしている方ではないので、何とも言えないけどね笑
でも、文章を追加したらその世界が崩れてしまうのではないかと思っているので、あの時の感覚のまま残しておきたい。のが本音。
誤字った所は修正するんですけど、文章を追加するってあまり無いかな。
まあ、普段通りしていれば完成という感覚にはならないので、まだまだです。
完成という感覚を手に入れたらもっと上に行ける気がしているのも事実です。
一喜一憂する事が分からない。
それは完成という感覚がないから。
普通という定義は難しいけれど、周りを見ていると1作品に魂を込めて作っていて
私にそんなのないなって。だから一喜一憂しないのかなって。。。
誰かに褒められたらその感情も出てくるのかなって思ったり。
何かを形にすることは本当に難しいから、作品を作っている人を応援してあげてね。
一喜一憂していたら作品なんて作れない。実際そうなのかも知れない。
次はこれしないと次はこれしないとが、連続で脳に訴えかけてくるから、それが邪魔しているのかも知れないね。
でも、私は悲しい。一部の感情が消えて無くなるのは、その分、書くことが無くなるということでもあるから。
作ること、表現する力って本当に体力を膨大に使う。その分何かを削っている感覚にも陥る。
言葉で表現できないのが、悔しい。
ここまで考えていたら疲れるのは当たり前なのかな。
本当に何処まで行けば良いのか不明すぎる。
人間はいつも未完成で良いんだよ。
- 誰かは完成した人間になりたい。
- 誰かは未完成な人間で有りたい。
実際、この違いでしか無いから自分自身を本当に完成させたい時に、研ぎ澄ませて突っ切ればいい。
完璧でありたいと私は良く思うけど、完璧なんて無理だし。
緩く思っていれば良いんだと思うんです。逆に重みになって心が潰れてしまうから。壊れてしまうから。
まあ、未完成だけど、合格点!に達したからOKみたいな感じで居たほうが上手く生きれるよ。
私みたいに出来るだけ、想像通り行きたい。と思って近づけていくとその分生きることが苦しくなってしまうから。
そこまで心を削ることはして欲しくない。
未完成でも、徐々に徐々に完成度を上げていけば、完成に近づくから無理に削ってはいけないよ。
私達には体も心も一つしか無いだから無理だけはしないで。。。
初めはみんな未完成なんだから初めから完成、完璧を求めて挫折をしてはいけないよ。
徐々に未を薄めていけばいい。そうしたら気づいた時に完成になっているから!
頑張って!自分も薄めていけるように頑張ります!
まとめ
今回は未完成に関して書いてみました。
完成と言われてもその線は何処にあるんでしょうね。
これ以上は出てこない。が線なのかな?分かりません。
でも、想像だったり文章が出てくるという事は完成とは言えないのではないか。
うーん難しいですね。それも影響して私は未完成です。
完成した日が来ても来なくても進めばきっとまた新しい何かありますよ。
それを目指して今日も想像通りに書こうと思います。