目次
様々な事を偽装できてしまう。世の中で、人間関係に何を求めれば良いのか。
見え隠れしている嘘に、偽装に、私はどんな事を思っていれば良い?
偽装をして何かを得る。偽装をして何かを苦しめる。
でも、偽装から始まった恋が愛に。本物になりうる可能性もある。
何が正解で。何が良いか。なんて当事者にしか分からない。
例え、嘘の優しさを振り撒いても、苦しくなった時に感じるのは本当に虚しさなのか?
見え隠れをしている偽装に何を思えば良いのだろうか。
この世には様々な偽装が溢れている。
それはきっと人間関係に限定した物だろう。
- 偽装結婚。それはお金だけの関係性。
- 偽装恋愛。それは疑似体験の恋をただしていたいだけの関係性なのか?
それをすることによって何を得られるのだろうか。関係性。ステータスなのか。
私にはその感覚、感情は無い。つまり分からない。
- 自分に偽装をする。それは悲しいことだけなのか?
人間関係を良くするために、自分をよく見せるために普段の自分を抑え込む。
それは全部が悲しいことなの?でも、結局自分のためじゃないか。
物事の場合は時と場合。臨機応変に変える。良い言葉だね。
じゃあ何で人間関係に変えるだけで悲しいとなるのだろう。きっと罪悪感。それが大きい。
私はこう思う。人間味が有って良いじゃないか。とそれも優しさの一部だよと。
- 他人を偽装させる。それはきっと良くないことなんだ。
他人が恋愛感情を持っていても、君は恋愛感情無いよね。と聞くことで振り向かせないように静止している。
その中にはある程度の線を保たないといけないと何かがやはり存在する。
居なくなって欲しくない存在なのかも知れない。友達がその人に恋愛感情を持っていて遠慮しているのかも知れない。
今、恋愛をしてしまったら大切に、幸せに出来ないかも知れない。と思っているかも知れない。
でも、最近私は気づいてしまった。その一瞬一瞬で誰かの幸せを奪っていると。
大切にしたいからと線を引くことで、それ以上に相手を苦しませて、悲しませていることに気づいてしまった。
- 大切の定義も、幸せの定義も人それぞれ違う。なら両方幸せになれる定義を新しく作ればいい。
それが大切に、幸せにするということだと私は思う。
向き合わなければ何もわからない。言い合う事は相手の為に、自分の為になっている。言わば、すり合わせの瞬間何だ。
ただ、無理にぶつからなくていい。ぶつからないということは相性が相当良いんだよ。
向き合っていないということではない。でも、相手が無理をしていたらぶつからないのは当然なんだ。
だから、その時は優しく問いてあげてね。大切に大切にその関係性を保ちたいなら相手を想って、自分も想う。
そうじゃないと寄り添うことなんて到底出来ない。
初めがとかどうでもいい。今と、これからを見ないといけない。
スタートをしたのならいつかのゴールを目指すのが鉄則でしょ?
それを曖昧にすることで何かが壊れてしまうのなら言い合えばいい。
嫌なら嫌。良いなら良い。簡単でしょ。でも、これが一番の寄り添うという事だよ。
偽装から始まった関係性が本物に。
偽装から始まる恋が良いか、悪いかなんて誰にも分からない。
どうしてそうなったのか。それも分からない。
お金を貰うという事が発生したら偽装の一歩なのか?
何気ない時にその人を想えたら、浮かんだら、感じたらそれは偽装ではない。
それはきっと恋を越して愛だよ。
お金の関係性から本当の愛を求める事は決して悪いことじゃない。
でも、そこに私が生活をするために、お金を貰うために、が入っているなら偽装に近いのではないか。
例えば、辛い時、悲しい時に素直に相手に言えるという事は愛だよ。信頼だよ。安心だよ。不安だから求めてしまう。それが本来の人間の姿だ。
偽装では感じられなかった。安心感に浸れた時に人は偽装ではなく、愛と感じ取れるのだろうか。
何が人を動かし、どの様な段階で私達は愛を感じられるのか、など、人それぞれの価値観だろう。
それが合致した時に偽装から開放されるかも分からない。人間関係に愛を求める。
それすら綺麗に思えて私は美しい。
求め合う事を辞めたら恋愛じゃない。それは誰でもいい。と言っているに過ぎない。それだけは確かだ。
ただ、ずっと求め合う事が正解ではない。その判断は、その人と相手に委ねられている。
でも、私はこの人が居なくても良い。と思った時に恋に、愛に、終止符を打とうと思っている。
誰かに価値を感じ取れなくなった時に、私自身から価値が消えた時、それは終わりだ。
偽装から始まる恋を否定しても虚しくなるだけだ。
それなら自分の事を考えていた方が自分の為になる。
他人にそれだけ熱意を掛けられるなら違うことに使った方が良い。
偽装は貴方の人生の方じゃないか?と言われる前に見るのを辞めた方が良い。
それが誰よりも自分の為に、人生の為になることだけは知っている。
自分を見ずに他人を否定することに何の意味も、価値もない。
自分をしっかり見て、他人には優しく。そして何事も受け入れろ。
それが出来ないのなら〇〇だからとか呟くな。無駄を他人に押し付けるな。
他人に掛けた言葉。全て自分に返ってくることを忘れてはいけない。
良いとか悪いとかを言いたい訳じゃないんだよ。
誰かが言ったことに流されて批判しても何も残らない。と言いたいんだ。
何が良いとか正しいとかは自分の範囲で、意見で考えてくれよ。
誰かが言った事を尊重しただけだからから責任は持たない。
それなら心の中で留めておけよ。
当事者しか分からない事が多いのは事実。
この世には不可解な出来事ばかりだ。
今までの予想が外れることは普段あるし予想を簡単に上回ることもある。
それを受け入れられなければ生きていけない。
勉強がしたくないから他の道に進む。それも良いだろう。
でも、その先に何が待っているのかを確かめ、現実逃避ばかりでは生きていけない。
出来ない分を補うように他を尖らせなければいけない。
それは今、勉強をしている以上に熱中をして、誰かに刺さるようにしないといけない。
一度刺さったからと安心は出来ない。その後にトンカチで2度、3度刺す。
要は、成長を、努力を、止めたらその時点で深く刺さらなくなってしまう。
それは高度な事だ。でも、立ち止まることで出てくるものも存在する。
それが偽装から始まっても普通の恋から始まっても変わらない。
今、何かに向かって熱中できている貴方は素晴らしい。でも、それだけじゃつまらないから。
新しい何かを追加してもっと楽しくなろうよー。
それをすることで見えてくる存在が絶対に、確かに映るから。進もう。
色々な世界を見てくれば私だけしか見れない世界が考え方がある。
これこそが当事者しか分からないことだ。
それと偽装は何ら変わらない。
嘘の優しさは虚しさだけが残るのか?
偽装でも、優しさが溢れているならそれは優しさだよ。
何でこんな事しているんだろうと思えば、虚しさが出てきてしまうし。
嘘を付いても優しさは優しさだ。それは断固として変わらない。
偽装した。笑顔を振り撒いても、優しさを、苦しさを、辛さを振り撒いたとしても
自分を保ているなら嘘だって良いんじゃないか。
虚しさが溢れるならその時点で辞めればいい。
偽装に何も残らない。そんな訳ない。記憶にはしっかりと記憶されている。
誰かが偽装と言ってもその中に自分という者をちゃんと持っていればいい。
人生に影響があるからダメだ。となって欲しくない。
生きていれば日々影響を受けているのに偽装で膨大な影響を及ぼすかと言われれば分からない。
壁があるならハシゴを使って乗り越えればいいだけだし。
考え方次第で、何だって変わる。
変わらない。分からないならその人に聞けばいい。
嘘がとか、偽装がとかの言葉に執着する事はあまり良いことではない。
人間と同じで中身を見ようよ。
まとめ
今回は偽装について書いてみました。
嘘に近いようで偽装はちょっと違う。
自分を隠す。それが一番近い言葉なのかも知れない。
隠すことで見える世界もある。隠さないで見える世界もある。
自分自身が思う。正しい道を進んでいけばいい。
それが否定をされても偽装だと侮辱されても、最後に勝つのは自分だと信じて進めばいい。
そんな事を今回は伝えれたと思います。