目次
人は産まれいずれ死ぬ。その間が人生なだけだ。
私達が生きている証拠はどこにあるの?動いている映像が証拠になるの?
私達が死んでしまった証拠は、、まだ分からない。
今を生きている私が。今思うことを置いていこうと思う。
人生何があるか分からない。死が遠いと思っていてもいつどの様に死んでしまうのか分からないから。
※この記事が全てではありません。私が思う証拠だったり生き方なので、見ている人と同じではありません。
生き方は私にも貴方にも存在する。
生き方は自分で決める。これが私です。
生きるってそう言う事だと私は思うんです。誰かのレールに乗って生きるなんてつまらない。
実際にレールに乗ったとしてもその後はその人の言うことを聞き、多少なりとも我慢をしないといけない。
だから、1人で何でも動く。何でも挑戦する。その方が、頼らずに気楽に過ごせるから。
ただ、掴める距離に未来が落ちているなら無視せず拾うんだよ。
あ、でも自分は気に食わないことがあると捨ててしまうけどね笑
尖っていると言われても知れない。でも、それぐらい本気だから折れることが出来ない。
生き方は一つではない。生き方は作っていくものだ。←名言にさせてーー笑
突っ走るだけが全てでは無いから、今のこと。後のことをちゃんと考えて選んで進んで生きて!
私は後のことを凄く考えてしまうから、失敗した時はこうしてこうすれば生きていけるて決定事項になっているけど
私はいつもやりたいことに失敗して成功してを繰り返して来たからとにかくやりたいことに本気で取り組めば
今は未来が見えなくても未来の君に映っていると思うよ!頑張ってね!
生きている証拠は何があるのだろうか?
私が思いつく数少ない物を書きます。
- 家の窓から漏れる光
- 好きな人大切な人の記憶
- 人の声・視線・音
- 物理的な痛み
- 精神的な痛み
数少ない物を出して見ました。日々気づいた時に追加していきます。
生きている証拠は生きているうちには分からないが、合っているのかも、正解なのかも知れない。
ただ、今、文章を読んでくれている人の心に、記憶に、私が生きている証拠は残ると思います。
記憶に、形に残る何かを作りたい。思ったことを伝えたい。ただそれだけでココまで来たから。
- 生きることで様々な感情が溢れる事、自体が生きている証拠なのかも知れない。
- 誰かの為に生きることも正解なのかも知れない。
- 必死に生きて余裕がない生き方も正解なのかも知れない。
- 誰かにしがみつくのも自分の希望を守る為なの知れない。
分からないから知れないを使ってしまっているけど、本当に正解がないんだよ。
不明まではいかなくても手が届く範囲にいないから分からない。
貴方の生き方は自分に合っていますか?辛くてしんどくて辞めたくなっていませんか?
人には人の生き方があるから合わないのなら辞めろとは簡単に言えないけど、絶対に貴方に合う生き方は存在する。
辛いながら、探して探して足掻いて足掻いていれば見つかる。私がそうであったから。
死ぬってなに?
私はまだ死んでいないから死ぬてなに?状態なんです。今も未来も。
亡くなると丁寧に言った方がいいのか。と迷いましたが、死ぬて言った方が伝わりやすいと思ったので死ぬに決めました。
この文章を書くことで誰かの気分が悪くなってしまう可能性もあると悩みました。
でも、私には私にしか書けない物も存在するので、きついて方は飛ばしてください。
葬式にも何度か行ったこともありますし泣いている人も見てきました。
現実で亡くなった人を見ていても今生きているから身で体験していないから分からない。
年齢と愛すべき人が出来たら変わるのかも知れない。
ただ、何なのだろう。思い出すだけで、悲しいと感じてしまうのは。
分からないなりにあの雰囲気が私は凄く苦手。
今、私は生きていていつ死ぬのかはさっぱり分からない。
分かっていることはいずれ死んでしまう事だけで。
命を削って、削って、急に亡くなる人もネットをみていると居たり、不幸な事故によって亡くなる人も居たり。
いつ亡くなるのか不明だからこそやりたいことはやっておかないといけない。
死ぬは分からない。深堀りも出来ない。一生を懸けても書けない問題。
生きていても何らかで命は死ぬ
私は現実的に体が死んでいなくても一瞬で心は死んでしまうと思うんです。
死=この世から亡くなる。以外にも合っていいのではないか、死=生きていても何かが消えるのもあるのではないか?
言葉一つに色々な意味が込められているのと同じで答えは1つではない。
だとしたら意味を少し変えれば人に対しても攻撃はなくなるのではないか?
ひどい言葉によって傷つく人が少なくなるのではないか?
命・心は尊い存在だ。その存在を邪険に扱った者達により私達は傷を負う。
負わない方法は確かにある。だが、自分自身を弱らせる物でもある。
命の灯火が消えてしまった時。私は1人でもう一度灯火を燃やす準備をする。
心だから回復は出来る。どれだけ時間が掛かろうが回復は出来る。
私は何度も消してしまったからその分何度も灯火を灯した。
現実的に亡くなってしまえば回復すら出来ない。
最愛の人を亡くしてしまった時。そのショックで自分の灯火だけは消さないで欲しい。
生きているのが辛くても一生懸命生きて欲しい。
生きているからその線引きが存在している。
まとめ
今回は生きている時。死んだ時の証拠はどこにあるのだろうか?と疑問に思ったので書いてみました。
生命に関して不思議がまだ多いが、考えることで導き出せる物も存在する。
生きるために必要な光(希望)も実際にあるし私にもある。
生き方が分からないなら生き方が分かるように努力をしないといけない。
努力が実らなくてもやろうと決意した。その気持ちがあればこれから何でも出来る!
生きる。死ぬ。は究極の存在。誰も知らないから誰も触れられないから余計な邪念が入らなくていい。
これ記事が間違っていようが、合っていようが、私が思うものであって違う所は直す事ができる。
生きていないと直すことも出来ないから真っ暗でも生きる。それ以外の選択はない。