絶対的な自信は時として絶対的な負けになる。

B!

目次

自信が有り余る事も、自信がない事も余り宜しくない。

自信過剰は、誰の話も聞かない。

自信が不足すれば、誰かの話に流れっぱなしになってしまう。

自分を信じ、人の話も聞く。人によって偏りがあるのは仕方がない事だ。

ただ、環境に抗えずに偏ってしまう人が一定数居るのも事実だ。

誰かに認められて自信が付く。それは誰かに縋ってしまう事と同じではないか。

それでも、きっかけがある事は良い事だと私は思う。

自信が大きければ大きいほどに。

自信過剰になれば為るほど、人の声を聞こうとしなくなる。

自分が一番で、脳内シミュレーションしたこと以外は無価値と認識する。

正解は何個もあるのに、1つ以外は入りません。って。

そうして、人間は視野を狭めて、頑固になり、怒鳴って意見を押し付けては、誰かを絶望させている。

 

私は、色々な人の人生観が垣間見えてしまうほどに、苦痛も絶望も感じてきてしまった。

あの人は、面倒くさいから。

あの人は、口が悪いから。

世の中のコミニュティーは、集まれば愚痴を言い合っている。

それと比例して、視野は狭いし、コミニュティーは小さく固まる。

だって、生々しく、憎々しい人が省かれるのは普通だろ。

傍から自分を投影したら見たらいい。鏡に映る自分を見たらいい。

周りの声に敏感になってしまう私は、普段から心を隠している。

 

自信が有り余れば有り余るほど、他人への意見を尊重しない。

耳すら傾けずに、対処しようとも対応しようともしない。

哀れと言う言葉が似合いすぎて、面白くもない。

1度怒っても、治らない、そんな愚か者にはなりたくない。

それでも、目の前から消えていないのはまだ何かが残っているのだろう。

 

分かることは、傷つけてから分かっても遅い事だけ。

自信が無ければ無いだけ。

自身がある。自信がない。

その違いは何だと思いますか?

身から溢れるやる気?

それとも、意見を突き通す頑固な気持ち?

私はその違いも分からないほど、自信がない。だから、何とも言えない。

 

いつも自信がないのは

正しさを言うことが、この世の中では、正しくない分類に入ってしまう事を知っているし

意見を言うことへの注目度、言葉では意図を伝えられないジレンマ

自信がないと言うよりかは、相手が理解を示すかを計ってしまう。

自分独りなら自信が持てるのに、相手がいると突如、自信が不安に変わる。

そして、流れに身を任せるように頷いているだけになってしまう。

 

何でなんだろう。正しい。正しくない。を無意識に考えてしまうのは。

後から発した言葉のマイナスを考えてしまうのは。

それが、自信がないと言うことなのだろうか。

分からないよ。全くわからないよ。

でも、此処に自分は居るし、明日も来る。

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自信を付けるのは決して難しい事ではない

難しい事ではない。と言いつつ自分はそれを出来ていないのは些かぶっ飛んでるけど笑

ただ、私は、自分をしっかりと認めているし、ダメな部分も分かっているから

違う方向から自ら突いたり、真正面から壊したりもしている。

現状維持がもっとも残酷なことも知っているからさ。

 

自信を付けるのは、自分を誰よりも信じ抜く事だと思う。

努力はいやいや出来ないし、納得しないと続けることは出来ない。

それは、命を削ってまで、その物事に時間を割けないから

 

自信と努力は同じ線の上にあって、努力をすれば、自信に繋がる。

やれることが多くなれば、なるほど、実力にも繋がる。

だから、自信がないと言う人は、新しい何かに挑戦して、努力をしてみる事が自信への近道。

 

自信も自分を認めるのも凄く大変で、難しいことだ。

それでも、自分だけは認める努力を試してみようよ

誰かを悲しませないように、素直に受け取れるようにしようよ

そして、少しずつ貴方は貴方であろう。

僕は、私は、此処で生きているんだ。と声をあげて証明しよう。

自信がない。という口癖は、もう辞めてしまって良いんだよ。

いや、辞めるべきだ。

誰かに認められる事を目的にしない。

この世の中には一定数、誰かに認められるために生きている人が居る。

それは、自分の事を認められないから。

その役割を誰かに託して、その相手に縋る。

ただ、大人になっても、自分を認められないのは、昔の環境が影響している。

 

認められないから、悪いという訳でもない。

ただ、出来ないなら、大切な人に言葉に出して伝えればいい。

そうしたら、相手もどうしたら出来るんだろう?って考えてくれるはずだよ。

きっかけを作ろう。今から作ろう。

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