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人間観察をするとその人の裏側が見え、何とも言えない気持ちにさせられる。
よく人を観察する。その人が何を考えて、何をしているのか把握できるから。
でも、見ていると大体の人は自分自身に害がなければ、誰も見ていないだろうと何かが起きても見て見ぬふりをする。
見て見ぬふりをしている瞬間を見てしまった方は、この人なりに何かあるのか?と思う事はある。
ただ、落ち着いてきても何食わぬ顔で、無視をし見ていた方がカバーをしなくてはならない。
見ていない。見ている。その区切りは必要だろうか?人が居る場所なら常に見られていると自覚をする。
人間観察はその人を良くも悪くも見えてしまう。
私は人を理解するために人間観察をします。
人は外見・感情・言葉選びだったりと全く違うので、話しかける事を前までは躊躇していました。
初めての人に会うってその人の性格が分からないから怖くて。。
でも、最近はその人に会えるのは凄い事で、今までは何も接点もない人と話すことは
自分自身の人生に少しだけかも知れないけど、影響を及ぼしているのかも知れない。
人間観察はその人が良く見えてでも、悪い一面も見えて、この人は何しているんだろう?
と疑問が残ってを繰り返して訳が分からない事ばかりが溜まって、自分が潰れてしまいそうに
なってしまう時が実際にある。
それでも、人間観察をやめようとは全く思えなくて、逆に見たくなってしまう。
人間の人生観なのか良く分からないけど、一人一人全く違う景色が見えて綺麗だなと思うことが多い。
一瞬一瞬で、その人が今を生きている証拠だと思えば私も溜まっていた。何かが消えたような気持ちになれた。
良い所しか見ないより悪い所もしっかり見ていた方が本質が分かる気がする。
自分自身に害がなければ無視をする。
人に言えて、人に言えない事かもしれない。
私が今思っている事は時間が経てば、考え方が変わるかも知れない。
でも、今回は今の気持ちで書こうと思います。
人間観察をしていると何かと無視をする瞬間が、目に映ってしまう時があります。
その人が焦っている時・イライラしている時・誰も見ていないだろうと何食わぬ顔をする時。
人間は追い詰められると本来の姿を見せる。
世の中には優先順位が存在していて、順番的にしていくのは凄く良いとは自分でも思う。
でも、臨機応変にした方が、良い時もあるんだよ。
自分自身は関係ないと思うことで、罪悪感は消えて無くなるけど、
見ることを辞めてしまえば、これからも同じことを繰り返してしまう。そんなのもったいない。
誰かを助けると思えばきっと出来るはずなのにね。
外出しているなら誰かしらから見られていると意識をする。
普段ビシッとしていなくても、大事な時だけビシッとしているだけでも良いとは思うんです。
それがその人が決めた事だと思うので、でも、外出している時は誰に見られても恥かしくない。
行動をするようにすべきでないのか??視線を感じないからといって何しても良い訳ではない。
自分自身では、分からないかも知れないがきっと見られている。
人間は記憶から無駄なものはすぐに消えてしまうが、一度記憶したものはふと蘇る時もある。
人は一つの出来事で印象が変わってしまう
何か一つの出来事で、今まで凄く良い印象だったのにあんな人だったのか。
と思われ、失望され、近寄るのを躊躇させてしまう。
時に良かれと思ってやったことが間違っていたりとやっぱり分からない。
自分で考えて、やってみて、と言われてやって、見せたら結局違うと言われたりと初めからマニュアルを見せてくれよ。
それが経験値になるって正解とは?訳が分からない事が積み重なる。
ある人は間違っていようとも、正解に近くとも、初めは間違っていると私に言った。
全てが経験だと感じ取れと囁かれた気がした。
良い顔ばっかりしていたら一瞬で信頼は崩れ去る。
ちょっとばかりおっちょこちょいの方が面白くて、あの子だからねと許される。
真面目でも良いけど、人に隙を見せることは本当に大切だと私は思っている。
まとめ
今回が私がいつも人間観察をしていて、感じた事を書いてみました。
人は誰にも見ていない時こそ本来の姿に戻る。戻ってしまうのです。
自分自身には害がないからと無視を貫いて、知らんぷりをして忘れる。
それを見ていた私はどうすることが良いのか?分からないままその人のカバーをする。
人間は一人一人違う。良い所も有って悪い所もある。悪い所を自分で直したりみんなで補うことが出来れば
悪い所では無くなる。信頼度が多ければ多い程暖かく優しく叱って貰える。
現代は、優しい世界ではないかも知れない。でも、信頼は自ら作っていくものだ。