代替品には、なれない者にならないといけないんだ。

B!

目次

代替品この言葉は残酷だ。でも、今の社会だ。

代替品=誰でも替えは居る。

今、私達に求められているのは何だ?

特徴か?それとも協調性か?それとも誰でもない私という者を確立する事?

本来は人間を代替品と例えてはいけないんだ。それなのに使い捨てと、この社会は言う。

それは何なんだ。お金で動かせるほど人間は安っぽいって言うのか。

家庭に守る人が出来れば会社はそれを良い事に遠くに飛ばす。

現代で私達に求められているのは何だ。

現代の社会は人間という駒を厳選し、集め、お金で人間の時間を買い。

嫌でも仕事はやらないといけない。それは生活のために。

本当に私達は求められているのだろうか。

きっと居なくなっても変わらない。そんな存在で構築されている。

1人2人と消えていく存在に何と思えば良いのだろうか。

誰しもが言葉を濁す。そしてアイツらは逃げたと、弱虫だと、言うのが目に見えているじゃないか。

それは求めているよりかは、適正ではなかった者を振り落とす機械の様な物だ。

 

何を求め、何をするのか?それを皆考えているのだろうか。

求められる人材、以前に求めるを追求しているのだろうか。

何もない。だから会社に入る。そしてお金を貰う。それが正しいのだろうか。

それは価値観の違いでもあり。ただ一時的に夢中になれる存在、以上にはいけなかった。それだけじゃないのか。

何もしてこなかった自分に嫌気が差す。その前に何もしてこなかった自分に聞いてみる事から初めたらどうだろうか。

私は正しさを、結果を、求めている訳ではないんだ。

考えて、考えて欲しいだけなんだ。

誰でもない。自分という人間に問いて欲しいだけなんだ。

 

現代で何を求められているのか、は見ている方向に自ずと出ているはずだから。

それを見ないから、見ようとしないから分からない。

私は必死に訴えかけているんだ。貴方は今のままで良いのか。と。

何もないから、何もない。日々から抜け出したいとは思わないのか。と。

 

私はただ、その生活が幸せな物であって欲しい。

何かが辛いなら逃げても良いんだよ。それだけは早く気づいてほしい。

例え、他人から求められても辛いなら辞めればいい。そんな所に居てはいけない。

あの世界にいると麻痺ってくるから誰かが目を覚まさないといけない。

 

現代が求めていないなら求められる存在になればいい。

替えられる人間と言ってはいけない。

誰かは代替品と言う。誰かは使い捨てな人間と言う。

この言葉が私は嫌いだ。残酷じゃないか。

誰が替えられるって?

生きること、生活は1人1人存在しているのにそんな事良く言えるよね。。

『それが曲がり通る世の中何だよ。』と言い返して来る人も居るだろう。

もしも、数カ月後に貴方の身に起こってしまったらどうする?

貴方は『曲がり通る世の中だから仕方がないよ。』と納得できるのか?

それと同じことを人に向けて言っているんだ。

 

  • この世に不要な人間など居ない。
  • この世に代替品になれる者は居ない。
  • この世に使い捨てだ。と言える人間は居ない。

 

この社会は色々な人々で回り、落ちる人が一定数居るのは事実だ。

でも、その裏で悲しんでいる人も一定数居るんだ。

社会に適応出来なかった。と言って命を落とそうとする人が居るんだ。

逆に無理に適応させようとして、しようとして、命を落とそうとする人も居るんだ。

優しい世界とは言っていない。でも、何で一部の世の中はこんなに酷い事が起こっているんだ。

これが普通だとでも言うのか?誰がそんな事をしてまで仕事をしろと言うんだ。

『これが働くということだ。』そういうのか?残酷じゃないか。。。

これが全てではないです。ごく一部です。でも、そんな世の中が存在している。

 

言葉で人は落ちる。だから、安易な言葉を発してはいけない。

それを分かっていない人がこの世には数多く存在する。

分かっていないのなら、何処かで、分かって貰えるようにするだけだ。

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お金で動かせる=誰でも良いのか。

この世の全てはお金で動いている。

それは正しく、でも正しくはない。

人間同士、信頼関係が構築できる時はあるし、そこに愛があるかも知れない。

色々な要素が組み合って人間は動いていると信じたい。

なぜか?ってお金が無くなってしまった人から離れていく存在は居て欲しくはないからだ。

お金が存在しているから色々な事が出来る。事実で、正しい。

 

でも、お金で時間を、人を、買ったとしても断固として出来ないことは出来ないと言わないとダメなんだ。

人間という同レベルの者をお金で買える。でも、買えない。それは人の心があるから。

自分自身の時間を差し出す代わりに、対価としてお金を貰っているだけ、それ以上でもそれ以下でもない。

(お金以上にその物事に踏み込みたい!と思えた時は楽しいという感情が溢れているだろう。

楽しいことは良いことだ!でも、踏み込むという事はその物事で生活をする。という事を良く考えてね。)

 

お金で、全てが動かせると思わないで欲しい。

何かをする事=お金を渡せば何でもしてくれるという概念に囚われてしまうから。

言わば信頼関係とか要らないと言っているに過ぎない。

それだから離れていく存在が居る。だって、間違っている方向に行っているから結果そうなる。

仕方がないと呟く、怒る、前に間違っていることに気づかないといけない。

それぐらいは間違っている。と私は断言できる。

だから、今、気づけてよかった。と思ってくれたら嬉しい。

社会は色々と可笑しい。

何かとこの世の中は可笑しな事が周っている。

『誰かが私の回りでは周っていない。』というだろう。

それは麻痺っているからと私は言ってあげる。

社会人だからはこれは普通。本当にそうなのだろうか?

私が、可笑しいだけなのか。それとも可笑しすぎて麻痺っていないだけなのか。

 

誰かが家庭に安定を求め、居場所を購入すれば。

社会は固定が決定したと、縛りが出来たと、人を無下に扱う。何処でも行けるよねと。

それは何なんだよ。本当に此処は人間が住んでいるのか。

ずっと腐ってきたから同じことを、過ちを繰り返す。

そんな事をして、一体何になるのか、私には分からないんだ。

何で、安定をするために人生を捧げないといけないのか分からないんだ。

 

有象無象としている物事に何を求め、どんな希望があると言うんだ。

私は代替品には替われない者になる。

私は代替品には替われない者にならないといけない。

何が良くて、何が悪いか、なんて分からないけど、発言にはしっかり責任を持っている。

でも、私の全てが正しいという訳でもない。時に、誰かの言葉で。その一言で変わってしまう時もあるんだろう。

私は、間違えを正すという事は良い事だから、正しい道に導いてくれてありがとう。とお礼をするよ。

それでも、正しくない。間違っていると自分が思えば流されない。そのぐらいの覚悟は持っている。

 

私が、私としての位置を確立した時に代替品では無くなる。

私の位置に誰一人も追いつけないし追い越せないようにする。

それこそ自分単体で輝くという事でもある。

時に誰かの力を借りる事があっても自分の色は消させない。消えたら代替品じゃないか。

 

だから、私は『あの人の文章だから読みたい。』と思って貰いたい。

それも私の居場所になるから。

色々な人の心を居場所にさせて貰えるように今、踏ん張っている。

まとめ

今回は、代替品になりたくない。私が言いたい事を書いてみました。

きっと誰かの心に響く何かを書けたと思います。

本当はこの世の中はとか言いたくは無いけれど、可笑しいことは可笑しいと言いたい。

それが普通になってしまったら時、終わりだと思っているから。

貴方にとって何が正義で、何が正しさ。何かは私には分かりません。

ただ、分かっている事は、案外この社会は腐っていることだけさ。

残酷でも現実を突きつける人が居ないと目を覚まさないからこうして書いている。

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