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自分自身、中身が空っぽでは何も生まれない。きっと違う。
空っぽ=何もない。そうなのかな?
みんな、自分は空っぽだからと逃げて、否定して荷を負いたくないだけなんじゃないのか。
中身が空っぽなら中身を入れればいい、表現を柔らかくすると『箱を体として物を知識とする』とあら簡単!中身入り人間。
今もしも貴方が自分の事を空っぽだと決めつけているのなら私が違うと否定してあげます。
空っぽだからこそ生まれる感情、思考はあります。
空っぽでは、何も生まれないの?
何も生まれない。そう思っているから生まれない。
生まれろ!生まれろ!と思っていても逆にプレッシャーにしかならない。
空っぽでも、感情は生まれる。考えは生まれる。いつどんな時でも。
空っぽでも、感情は生まれる。簡単に言えば、お腹へった。眠い。って急に生まれませんか?
何だろうか。感情はふわふわと浮かんできてふわふわと消える。
考えは、例えが出てこないけど、何かを見て不思議だなと思った時に私は生まれる。
大体の答えは検索すれば正解に近い物は出てくる。
空っぽはさ。物で例えれば、単純に箱に中身を入れていけば済む話なのだけど、人間になってくると複雑になる。
複雑と考えている事すらも間違えかも正解かもわからない。私は複雑って何だ?とそこから生まれてしまうけど。
君が、空っぽでも、脳に刺激を与えれば中身は生まれる。(例えば一日お出かけしてみたりと環境を全部変えてみる事も刺激になる。)
難しいと考えることは不要。見たものは脳に記憶として貯蓄され。ふとリラックスした時にも生まれる可能性はある。
この記事を作る過程を言えば、『空っぽ』というキーワードを前から決めていて記事を書こうと決めてぼけっとPCの前に座る。
悩む、タイトル決めて出てきた物を初めに書く。眠い、寝る。続きをバーと書いて画像見つけて終わり。
やらなきゃじゃなくて明日までに終わらせよ。と自分に余裕を与える。
焦れば焦る程。時間がヤバい。と思う程クオリティは下がってしまう。誤字ってしまう。
リラックスって本当に大事です!!
空っぽは本当に空っぽなのか?
空っぽ。出し切った。真っ白。やり切ると皆口を合わせて言う言葉。
私も記事を書いた後に出し切ったという感覚に陥ります。
それはきっと過集中し過ぎた結果。体も脳も疲れたからもうやらないようにストッパーを掛けているんだと思います。
実際、私は1日1記事しか書けない制限がついています。考えは浮かぶのだけど。(その日に書いたキーワードが脳に染み込んで思考が偏る。)
実際の所、空っぽではなく、集中が出来なくなったからだと私の感覚は言っている。根拠はない笑
以前に空っぽを振り切りその先に行ったことがある。でも、絶対に行かない方がいい。
体がボロボロになって目に見えるぐらい、人に心配されるぐらい、具合が悪くなる。
言って良い事、悪い事も分からず。しかもストッパーはとっくに壊れているから掛からず。
平常を戻した時に見るとぶっ飛んでいる文章になっていたり、内容になっていたりと酷い有様になっている。
後々の自分にそれが返ってくるので、凍りつきながら修正だ。修正だ。になってしまうぞ!
本当の空っぽではなく、脳だったり体が疲れ切っている証拠なんだ。
やりたくて後悔したくないならバランス良く負担を掛けないようにしてね。
良い物を作るために届けるために必死になるのは分かります。でも、体だけは何にも変えられない。
だから、ストッパーは存在している事だけは覚えておいてね。(過去の自分に言い聞かせたい)
空っぽは逃げ言葉?
人間的に中身が空っぽだという自己肯定感が低い人が存在するのは知っている。
- 自分には何もない。することがない。
- 何も分からない。何も出来ない。
- 特技がない。得意なことがない。
- 未来に希望がない。これからの想像が全くできない。
一時期、私も同じことを考えていました。
全部、否定してしまいたい。否定することで自分を小さく小さく保てばいいと思っていた。
今思えば、悩みから開放される訳がないのに。
きっと語尾に『ない。』と付ければ安心できたんだと思う。
自己肯定感を高くするとか意味分かんない。と思っていると思う。私も思っていたから。
でも、いつの日かやりたいこと、熱中出来るものを見つけた。
ただ言いたいことは、空っぽだからと自分自身と壁を作らない事だと思う。
誰も空っぽじゃない。逃げたって良い。小さい世界に隠れていたって良い。
みんなが、大人が、前を向けと叱ってきた。その人達に壁を作ってしまっても、自分自身に正直なら私は何かしらで寄り添う。
歩くスピードも歩幅も違うのに無理に合わせる方が、私は辛いしストレスしか溜まらない。
ゆっくりでいいから。まずは、自分自身の心と話し合ってもなお、空っぽだと思ってしまうなら
私はもっともっと寄り添えるように大きな声で心に直接聞こえるように寄り添ってあげます。絶対に。
空っぽになる時はいつ?
私が最近空っぽになった時っていつだろう?うーん。
スマホを使っていると動画見て。記事を見て。て感じで、考えてしまうし。
記事を書いている時は書くモードに入ってしまうから文章は、言葉は色々と出るし。
悩んでいる時は同じことを考えてしまうし。
空っぽになる時?え?あれ?
きっとどこかで空っぽになっているんだろう!!(分からんから諦めた)
私が考え込んでしまうのは、書くことが日常に入る込んでいるからなのかも知れない。
でも、楽しいよ。自分からこんな感情が出てくるんだっていつも新鮮に思えるし。
空っぽでも、空っぽじゃなくても辛くなければ私は悲しい気持ちにならないから嬉しい。
自分を理解して愛した結果なのか!うーん分からん。
でも、全ては生きてきたからこそ知れたこと。
まとめ
今回は空っぽをテーマに書いてみました。
今年最後の記事だからシャレを効かせて大掃除と掛けたなんて理由で書いたことは誰にも言えない。
空っぽでも、人は死なない。空っぽじゃダメなんだ。ではなく、リラックスして考えてみる。
考え込んでいたら悲しさと虚しさで潰れてしまうからとりあえず変化を求めてね!
今年最後だからちょっと良い話置いていこうかな。
この記事を書けていることも続けることが出来ているのも正直自分でもびっくりしていて
いつまで続けられるのかも不明で、でも、現実的に文章を読む時代は通り過ぎていてこのままで良いのかと問いただされれば
このままで良い訳がないと私は答えます。
人々に届きやすくかつ見やすくなければいけない。伝わりやすくなければいけない。
言ってしまえば今、人々がメインに考えているのは暇つぶしになれて面白ければいいって発想だから
正直誰にもわからない。これが一番怖い所って何話しているんだろうか。まあ、先の先を見通すのです。
とにかく作る側は考える力がないと現状維持になってしまう。とただの素人が語っております笑お気になさらず。
今年は最後です!見てくれてありがとうございました!